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3月
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昔は昔、今は今

何をするにも億劫で、何をするにもやる気がない。

やりたいことは沢山あるのに、やらない言い訳だけを考えて実行に移さない。

 

それじゃあダメだって分かってるのに治らない…

 

取り敢えず、毎日記事を書く(内容は二の次、書くことの習慣づけが最優先なので、何かあんまり意味無い感じになってしまってるのが怖いけれども)を頑張って居るんだけれども、それも実になって居ないんじゃないかと不安になりつつあるこの頃ですよ、コンバンハ。

 

猫壁を始めた時は、色々とやりたい事があって頑張るぞ!って思っていたのだが、自分だったら出来るはずっていう自信っていうのが、どうにも薄くなってきている気がする。

 

人間、動くための動力源って色々と有るんだけれども、発進したり前進したりするための力として、「思い込み」っていうのも時には必要何じゃないかなと思うんだ。

で、以前は「コレくらいの量ならこのくらいの時間で作る事が、書くことが出来るはず〜」という自信や、「これだったら自分にも出来るんじゃね?」という思い込みがあって、実際ソレに向かって頑張って結果を出すことは出来ていたのだけれども、じゃあ今は?ってなると、実はその感覚が薄くなってしまっている気がする。

それって何でだろう?って考えてみたら、もしかして「過去の栄光」に囚われている自分が居るのかなって。

 

目的を達した、成功したっていう経験談は、経験としては実に大きなものだけれども、それが忘れられずに停滞する足枷になることもあるんじゃないかなと、最近は思う。

悪い意味でそう感じているのではなく、今の自分を客観視しにくくなると言う意味で感じている事。

経験を積めばそれだけ考え方や手順、効率は上がっていく。

でも、時が経てばそれだけ自分という者の時間の流れは速いと感じるようになるし、衰えも感じ始めてくる。

昔出来ていた事が出来なくなると、途端にそれがジレンマになって、「出来ない」と感じてしまう事が増えてくる。

そうなると縋りたくなるのが、この「過去の栄光」なのかもしれない。

あの時は出来ていた事が、何故今は同じように出来ないのだろう。

勿論、習慣化してしまえば、何年経っても出来ないと感じる変化は緩やかに進んでいくんだろう。

でも、一度でも止めてしまって、改めて再開しようとすると、その間のブランクのせいで、この変化が大きく感じてしまう。

変化が大きければ大きいほど、「出来ない」事に対しての苛立ちと幻滅が大きくなっていくんじゃないかなぁと。

 

つまり、出来ないことを真正面から受け止め、じゃあ、今の自分だとどうすれば出来る様になるのかを考えにくくなるのかも知れない。

 

自分を客観視するきっかけを今探している。

出来ないことは出来ないというより、出来なくなったことを緩やかに受け止め、徐々にペースを戻す訓練をしなければならないのかもれないなぁ。

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