頑張ったことに対しての評価が欲しいのか、楽しんで欲しいから作るのか。

no image

これだけ時間やお金がかかってるんだからさ!分かって欲しいんだよね!

この言葉を言われると、ちょっとなぁ……と感じてしまうのは自分だけだろうか。

ホント小さいことなんですが、冗談で言うならソフトに受け止められることも、ガチでそう言われてしまうと、感想も購入も「あっ。じゃあいいです」ってなってしまう事が結構あります。

自分が小さい人間だということは分かっては居るけれど、どうしてもこの言葉、素直に受け止める事が出来ないんですよ。でも、この言葉。結構良く耳にします。そして、言われる度にモヤッとすることが多いです。

本日はそんな雑感。

 

スポンサーリンク

コレを言われると微妙な気持ちになる。そんな不思議な言葉が「頑張ったんだから」。

 
これだけ時間がかってるし、めちゃくちゃ頑張ったんだよね。

こういった言葉は、自分が絶対に言わないかと聞かれるときっぱり否定はします。いや、言うし。ただ、言い方は冗談と取れるようなソフトな感じで吐き出すようにはしていますが。

勿論、言う時は聞いてくれる相手を選んで発言をします。その言葉を聞いて笑ってくれる、冗談に近いもので流してくれる相手にしか言いませんし、それを言うことで笑ってもらえそうや、もう一押しで興味フラグがこっちに傾くと直感がある場合のみ発言するように気をつけています。

何故かというと、この発言をすると、ネガティブな印象を相手に持たせてしまうからです。とは言え、どういうこっちゃ?って思われているかと。なので少し細かく砕いておきます。

さて。先ほどの言葉ですが、言われてしまうと微妙だなと感じてしまうポイントを太字にしてみます。

「これだけ時間がかかってるし、めちゃくちゃ頑張ったんだよね。」

太字を見てもらえれば分かるとおり、頑張ったことを強調している部分。これを肯定的に捉える事が出来る場合は、言われても素直に応援出来るのだとは思いますが、言葉を受け取るタイミングによっては、肯定的に受け止めることが難しいことがありますよね。

勿論、自分も作業をしてお金を使って物を作っていた方の立場ですから、その大変さは理解はしていますので、つい言ってしまいたくなる気持ちは分かります。でも、だからこそ言われたくないという意識も強く働いてしまうんです。

じゃあなんでそう感じるのかと言うと、こういうことです。

 

スポンサーリンク

作品を楽しみたいのに、ネガティブなアピールをされると興味が削がれてしまう。

始めて出会った作品を拝見したいと思うのは純粋な興味からです。なので、この時点では、作品に対してだけの興味があるということになるかと思います。

どういうことかと言うと、先入観は一切なく、真っ新な状態で作品と向き合っているということです。

しかし、ここに作者の感情という情報が追加された場合どうなるでしょうか。

全ての作品にそういうフィルターがかかってしまう訳ではありません。ただ、ポジティブな印象の作者さんの作品は、作品そのものがステキだと感じることが多いですが、ネガティブな印象の作者さんの作品は、作品を読むこと自体が面倒臭いと感じてしまうことがあります。

作品はとってもステキなのに、必ず感想を欲しいとお願いされるから読みたくない。

作品は読みたいんだけれど、作業時間をアピールされてしまうから、読んだ後の感想を送るのが苦手だなと感じる。

本を買いたいんだけど、どれだけ元手がかかっているんだからと言われると、ネットに上げればいいのにと思ってしまうことがある。

こんな風に感じたことありませんか?

 
そんな風に思う事自体が捻くれているんじゃないですか?

もちろん、そこは否定しませんし出来ません。でも考えてみて下さい。

例えば、スーパーに出かけたとき、「今年初のスイカです!」というPOPを見つけたとします。で、価格は一番高い物が1個5000円するとします。ただし、スイカの種類はいくつかあり、中には1個1280円のものもあります。

試しに食べてみて下さいと勧められて食べてみたら、若干の違いはあるけれど、高いスイカも安いスイカも美味しいことには変わりがありません。

でも、何故こんなにこの種類だけが高いのかと不思議に思っていると、頼みもしないのにこのように説明されました。

 
うちは完全無農薬ですし、土はかなり拘ってるんですよ。時間も物凄くかかってるし、一つ一つ丁寧に栽培してるんで、それだけ努力と苦労があるんです。

それを聞いて「とても素晴らしい商品なので是非買いたいです!」となる人がいる一方で、「食べて美味しいと感じるのならば、安くても全然構わないや」と考える人も居ます。

制作側の苦労が分かるタイプが前者だとすると、自分の財布と正直に向き合うタイプの消費者は後者ということになりますよね。購入する側からすれば、安い商品でデメリットが少ないのならば、浮いた予算を他に使って賢く買い物をしたいと考えることも多い訳です。

それに、直売所などで購入するのならば場の雰囲気で即決してしまうこともあると思いますが、量販店で比較対象のある商品の場合は、わざわざ高いモノを買わずとも、安い〜中間の値段のものを選ぶことも可能なわけです。まぁ、この話はいったん置いといて。

この例え話で微妙だなと感じるポイントは、頼みもしないのに説明されると言う部分と、手間暇かかってるから買って欲しいという直接的なアピールです。アピール自体は商品を売るためのセールスの部分なので宣伝の言葉次第では納得して購入はしますが、メリットが感じにくいアピールに対して高い金額を支払う気持ちはあんまり出てこないのが正直な所。

先ほどの宣伝文句で、無農薬でかなり手間暇がかかっていることは分かるんですが、価格が安い物も同じように無農薬の商品だった場合どうでしょうか?

何故このスイカが安いのかというのを聞いてみると、商品自体は無農薬ですが、効率化を図っているので、手間が高級な物よりかからず量産が出来るので安い。こういった理由だった場合、量産出来ない高いスイカのメリットは一つ消えてしまう事になります。品質的には若干劣るというデメリットがあるんですと説明されたとしても、実際試食したときにそんなに旨味に差があるように感じなかったとしたら、値段が安い方を選びたくなる場合もあるかもしれません。

また、直接的なアピールが苦手と感じてしまう購買者は、宣伝マンがその場にいることが分かった時点で、売り場を離脱してしまう可能性は高いと思います。

では、どうすれば商品の品質が良いと素直に伝えられるんでしょうか?

 
●●という地域でしか栽培されていないスイカで、一つ一つ丁寧に作っているためお店に出せる量が決まっているんです。なので、コチラ以外で購入される場合は、直売所か●●という場所に連絡してください。

先ほどのアピールのように直接的な苦労を伝えるのでは無く、商品の付加価値をアピールする言い方に変えてみたのですが、こちらの宣伝の方が興味を持ちやすいと感じませんか?

高いスイカは生産地域が限定されているため、今を逃すと購入することが出来ない。そう言われると、今買わないと損をするかもしれないという意識が働き買いたくなることもあるかと思います。わざわざ苦労しているということをアピールしなくても、高いスイカを買いたいと思ってもらえる工夫は作り出せるということです。

そもそも、高い値段のスイカも安い値段のスイカも、生産するという手間暇の部分では、苦労は同じように発生しています。なので、苦労をしていますよというアピールは、商品の付加価値としては弱い部分です。

そうではなく、この商品のどこがどのように優れているのか。この商品にしか無い魅力はどこなのかをサラリとアピールした方が、興味を持ちやすいし購入しやすい事もあるわけです。

 
つまり、頑張ったことをアピールしても、あんまり意味が無いと言うことですか?

勿論、頑張ったことをアピールすることに全く意味が無いワケではありません。ただ、それをどう伝えるのかは工夫しなければならないとは思っています。

情報を受け取る側は、発信する側の苦労は分かりません。なので、それを理解して下さいと声を上げて、いざ同じ事をやってもらい理解してもらうことにするとします。

ところが、返ってきた返答が「え?簡単だったよ?」だったらどう思うでしょうか。

作業効率というものは、作業者によって異なるものです。

自分が100時間かかったことを10時間で終わらせてしまう人も居るし、逆に1000時間かかっても終わらない人もいます。つまり、必ずしも努力の度合いはみんな一律になるというわけでは無いのです。

また、努力しましたと伝えることで、作った作品にマイナスの印象をくっつけてしまうこともあります。ネガティブなアピールが重なれば重なるほど、持ってもらえた興味がどんどん削がれてしまうこともあると言うわけです。

 

頑張ったアピールをされると、どこに対して反応を返せば良いのか分からない。

では何故、頑張ったアピールが作品の印象をマイナスに変えてしまうのかというと、そこに制作者の人物像が見え隠れしてしまうからじゃないかなと勝手に思っています。

というわけで、次の例え話を。

ここに2人の製作者さんがいるとします。AさんとBさんは、更新スピードがほぼ同じで、作品のクオリティの差も殆ど無いものとします。2人の特徴はそれぞれ下記の通りです。

A.コンスタントに作品をアップしているけど、感想を特に求めていない人(返信はちゃんとしてくれる)。

B.コンスタントに作品をアップしているが、毎回作品の宣伝をして感想を欲しいとお願いしている人。

この2人の作品、どちらが気軽に読みやすいと感じますか?自分は、Aさんの作品の方が気軽に読みやすいです。理由は簡単で、Aさんが感想を欲しいとアピールしていないからです。

感想が欲しいとアピールされないということは、感想を送ることを義務と感じてしまう部分が少ないということになります。

逆に、Bさんの場合はどうでしょうか?「アップしたから感想よろしく。絶対だよ!」と告知し、感想が来ない場合「感想来ないんだけど、何で? こんなに頑張っているのに」と呟いていたとします。その呟きに対して、初めの頃は頑張って感想を送ろうと思う人も居るはずです。でも、コレが毎回続くと、段々感想を送る事が義務みたいに感じて、しんどいと思ってしまいませんか?

作品を楽しいと思うから感想を送っていたはずが、読んだら感想を必ず送らないと嫌な感じになると言う風になってしまう。それがとても嫌で、もう読みたくないなと足が遠のく。

そんな風に思ってしまう人も居るはずです。

 

何度も言いますが、作品を発表する以上、何かしらの反応が欲しいと思ってしまうのは当然のことです。

でも、それを当たり前のようにもらえると思うのは違うと思いますし、努力をしたから評価が必ず来る訳ではありません。

そのことに対して、ネガティブになり愚痴を言ったところで、慰めてくれる人が居る場合は良いですが、周りに居た人たちが少しずつフェードアウトして行ってしまう。そんな可能性はゼロでは無いですよね。

ネガティブなアピールをすることで、その作品への興味が消えてしまうのは、実はとても勿体ないことだと思います。

 

反応が無いのは周りが認めないからじゃなく、自分自身の行動が原因ということもある。

どんなに素敵な作品でも、それをこっそり楽しみたいという奥手なお客さんは沢山います。そういう方達は、感想を送りたくなくて黙っているのでは無く、感想を送りたいけど勇気が持てないということも多いです。

そんなドキドキしながら作品を待ってくれている人に対して、「感想もらえないのはおかしい!」と言ってしまうのは、少しぶっきらぼうな印象を持ってしまいます。

視覚化されないからどれだけ見てもらえているのかが分からないというのはあるのかもしれませんが、アクセスが1上がる/ファボが1増えるだけで、興味を持ってくれた人の1人は作品を見てくれていると言うことには変わりがありません。

ただ、奥手で恥ずかしがり屋だから、好きという気持ちをボタンを一つ押すこと、アクセスを1つ増やすことでしか伝えられないというお客さんも居ます。

自分のモチベーションを保つためにも、分かりやすく言葉や反応で伝えて欲しい気持ちは分かりますが、それを求める度が過ぎると、自分の作った作品の見てもらえる機会を、自分自身でぶち壊してしまうこともあります。

作品は時に作者の人物像が見え隠れするときがあります。逆に、作者から作品にマイナスの部分が流れ込んでしまうこともあります。

完全に切り分ける事は難しいかもしれませんが、頑張りをアピールしすぎると、目の前に居た素敵なお客さんを自分で追い払ってしまっている事もあるかもしれませんよ。

作品を作るのは、努力したことを評価して欲しいからですか?

それとも、それを受け取ってくれた人が、楽しいと思って欲しいからですか?

感想が言葉で来るまでにタイムラグが出ることもあります。発表してすぐに結果が出なくとも、時間が経って突然反応がやってくるパターンもあるので、あんまり躍起にならず、肩の力を抜くことも大事かなと思ってしまいました。

スポンサーリンク